日本の神社の風景で最も目を引く特徴の一つが、巨大なネットワークの存在である。同じ名前、同じ祭神、同じ視覚的アイデンティティを共有する数千の神社が全国に散在する。稲荷社は約3万、八幡社は約2万5000、天神社は約1万2000、神明社は約5000。なぜこれほど増えたのか?東京の路地裏の小さな稲荷社と京都の伏見稲荷大社を結ぶものは何なのか?
その仕組みは「勧請(かんじょう)」と呼ばれる。ある神社の神を新たな場所に迎え入れる儀式的な招請である。ある共同体が特定の神の恩恵を受けたいと願う時——たとえば商売繁盛の稲荷大神——本社に「分霊(ぶんれい)」を正式に請う。儀式を通じて神の霊の一部が新しい御神体に遷され、新しい神社に安置される。
重要なのは、分霊しても元の神が減らないことだ。よく使われる比喩は「蝋燭の火を分ける」——元の炎は弱まらない。新社の神は同一の神であり、新たな場所に完全に在りつつ元の場所にも完全に在る。この神学的理解が増殖を可能にする。神の霊が分かたれうる回数に制限はない。
稲荷が最たる例である。711年創建の伏見稲荷大社(京都)が約3万の稲荷社の総本社である。稲作の普及、そして商業の隆盛に伴い、全国の共同体が稲荷社を建てた。豊穣——やがて商業的繁栄——との結びつきが、農民・商人・製造業者、ひいては現代の企業にまで稲荷信仰を浸透させた。今日、稲荷社は独立の建物としてだけでなく、百貨店の屋上や大企業の敷地内にも見られる。
八幡信仰は異なる拡大経路をたどった。八幡はもともと九州・宇佐の地方神だったが、鎌倉時代(1185-1333)に源氏の守護神として採用された。源氏が全国に武家政権を打ち立てるにつれ、八幡信仰もともに広がった。武士(ぶし)の守護神となり、各地の武将が拠点に八幡社を建てた。この軍事的拡大が日本最大級の神社ネットワークを生んだ。
天神社はさらに別の機制——怨霊の鎮魂——で広がった。9世紀の秀才・政治家の菅原道真が政争に巻き込まれ配流先で失意のうちに没した。その後、都に疫病・落雷・政敵の死が相次ぎ、道真の怨霊の祟りと解釈された。道真は死後、官位を回復され、天神として神格化された。怨霊への恐怖が薄れ学問との結びつきが強まると、各地に天神社が建てられた。今日、受験シーズンには学生であふれかえる。
本社と分社の関係は様々である。伏見稲荷大社のように全国の稲荷社と組織的に連携する密接なネットワークもあれば、同じ神名と名前を共有しつつ組織的なつながりを持たない、実質的に独立した分社もある。
このネットワーク構造は、神道がなぜ「統一的でありながら多様」に感じられるかを理解する鍵の一つである。どの稲荷社に入っても朱の鳥居、狐の像、独特の雰囲気を認識できる。しかし各社には固有の地域性、固有の共同体、固有の歴史がある。神は同じだが、神と各地の人々との関係は唯一無二である。均一性なき統一——聖なるものが世界に顕現するあり方についての神道の理解を映す構造である。